はきだめ感想録

いろんな感想とか、自分の考えまとめ用

ガーデンと言うエロマンガを読んだので思うところを話させて欲しい

緑のルーペという漫画家がいる。
自分が最も敬愛している漫画家だ。
どういう漫画家かは各々調べて欲しいが、とりあえず自分の性癖はこの人のお陰で狂ったとだけ言っておく。誉め言葉です。

とはいえ簡単に説明だけしておくと、成人漫画家、つまるところエロ漫画家であるが、描くストーリーが余りに精神に食い込むストーリーであるがゆえに(一般的に言えば)実用性にはあまり向かないエロを描く漫画家の一人である。
最近新刊も出ましたまもなく買います。

ガーデンと言う作品は、緑のルーペ先生の商業単行本の2作目にあたり、全2巻構成の作品。初版はⅠが2012年でⅡが2013年。
なんで初版の年月日が分かるかって、そりゃ今手元にあるからだよ。
父親に性的に愛された女の子と、娘との愛を育むために楽園を築こうとした男と、好きな女の子全てをその楽園にとられた男の子の話。
大まかにあらすじを言うとすればこんな感じ。

ここから先は思ったことを書いていく。
ネタバレは多分ない。
感想というか、主に自分の感情のはけ口となる。

ガーデンに出会ったのは大学生の頃だ。
ガーデンの前作、つまり商業単行本1作目であるイマコシステムを手にとったすぐ後だったと思う。
イマコシステムでルーペ信者となった自分は、当然の如く既巻が無いかを近所のエロ本屋にチャリで確認しに行き、ガーデンの存在を知った。そして買った。

イマコシステムの段階で、エロマンガとは抜くものだと言う固定観念は払拭、というか抜くに抜けないエロマンガという概念が新たに植え付けられていた。
概念の更新っていうのは、思っているより精神に来る。
内田樹の街場シリーズを初めて読んだときも思ったけど、人間持ってた概念がアップグレードされるときの感覚は中々に気持ち悪い。
脳の一部がどろっと溶けて、鼻の穴から流れ出てくる様な感じ。
未だにあの感覚を上手く表現はできないんだけど、言うなればそんな感じ。
当然流れ出た部分には新たな概念が居着く訳だけど、これが中々にまた気持ち悪い。
ちょうどイマコシステムに出会ったタイミングで、奇しくも私は4、5年付き合った遠距離の彼女を他の男にとられたということもあり、イチナに異常な感情移入をしていた。
あとその彼女とイマコさんが妙に被って見えたということもあり、読んで数日は色々ぐるぐる考えたし、胸焼けに似たもやもやをずっと抱えてたし、その結果嫌よ嫌よも好きの内的にどっぷりハマったのでした。ちゃんちゃん。

終わりじゃないよ、これはガーデンの話なんだから。

職場の人にガーデンを貸し出すことになった。ので数年ぶりに読んだ。

愛ってなんなんだろうね。
読後まずそれが出た。
愛も恋も、なんなら好きって感情も、そもそもなんなんだろうね。
別に無性愛者って訳ではない。好みの女の子ってのも居るわけだし、可愛いって思うことも、綺麗だって思うことも、それなりにある。
でもそれって結局、最終的にセックスして子供作って子孫を残す目的の為にそう思ってるだけじゃないの?

俺は世に蔓延るボーミーツガール的な、運命の人とか、惹かれあって結ばれるハピエンが苦手だ。
その理由はさっき言った、「世の愛だの恋だのと言った感情は、結局セックスして子供作るという目標に帰結する」と思ってるからで、更に突き詰めれば「理性と知性いう武器を得て脱本能したはずの人間ですら、結局は種の保存という本能からは逃げられない」という事実が嫌、なんだろうな。
誤魔化してるだけにしか思えない。愛も恋も、好きだって言葉も、あけすけな本能を隠す藁にしか思えない。

まあそんな事言ったって、冷静な自分は「拗らせてんなぁ」位にしか思ってないんだけど。

若い頃、と言っても高校生とか20代前半だった数年前までは、それでも真実の愛ってのを信じてはいた。
嘘ごめん性欲にまみれてた。
それでも好きとか、愛とか、そう言ったものは性欲とは別物で、地続きではあるけど違うもんだと思っていた。
純粋だったんだと思う。
違うもんだったけどさ、もっと酷いもんだったよ。醜い性欲を丸くするオブラートでしかないんだよ、愛だの恋だのは。
所詮そんなもんはしばらくしたら剥がれ落ちる。
口当たりのいい部分が削がれ、尖っててどろどろしててえげつない臭いのする性欲だけが残る。

それでも、人は人に恋をするし愛をささやく。
どろどろの性欲が表れても、変わらぬ愛を嘯く。
これは愛だと信じ込ませながら。
恋愛感情の良くできた所はソコなんだと思う。
人間の醜いところを見ながらも、麻酔の様に理性を鈍らせる。

愛だの恋だのが分からない。
好きだって感情すら分からない。
可愛い、綺麗、美人=好き、恋、愛なのか?
ヤりたい=好きなのか?
継続してヤらせてくれ=愛なのか?
違うでしょ、そんな簡単なもんじゃないでしょ。
そんな簡単なもんであって良いわけがない。
結局そういう言葉を平気で吐ける人は、相手の事を性処理の道具にしか見てないんじゃないか。
相手も相手で、感情が満たされるから恋だの愛だのを錯覚する。
そんなのを、そんな醜い行為のために使われていい言葉じゃない。
愛だの恋だの好きっていう言葉は、本来もっと複雑で、それこそ言葉に出来ない感情のるつぼを現す言葉のはずなんだ。
ガーデンのラストで泣き崩れるひつじを見て、ぐるぐるした感情をかっとなって書き綴ってみた。

ガーデンだって、突き詰めればそう言った愛の簡略化の結果の話だと思ってる。
何をもって愛なのか、何をもって恋なのか。そもそも感情の定義を求めることほど野暮なこともないんだけど。
そんな事ぐるぐる考えてるからついに恋愛出来ない体になっちまったぜ。やったぜ。

書いてて気づいたけど、散々に愛も恋もわかんね~とか言いつつ、まだそれらの可能性を捨てきれてないんだなぁ。
憧れにも似た何かを抱いているようだ。

ガーデン、いい作品だからみんな読もうね。
続編のガーデンコールもいい作品だから読もうね。
またなんか思ったらなんか書く。